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大阪地方裁判所 昭和39年(行ウ)71号 判決 1966年4月18日

大阪市阿倍野区阪南町西一丁目二七番地の一

原告

酒井武夫

右訴訟代理人弁護士

布井要太郎

大阪市阿倍野区阪南町中二丁目四七番地

被告

阿倍野 税務署長

桑原登喜雄

右指定代理人検事

叶和夫

法務事務官 風見源吉郎

奥田五男

戸上昌則

大蔵事務官 藤原末三

本野昌樹

右当事者間の昭和三九年(行ウ)第七一号贈与税および同加算税の賦課不当課税取消請求事件につき、当裁判所は、次のとおり判決する。

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一、申立

一、原告の求める裁判

被告が、昭和三八年一二月五日付で、原告に対してなした贈与税の決定ならびに無申告加算税の賦課決定はいずれもこれを取消す。との判決。

二、被告の求める裁判

主文同旨の判決。

第二、主張

(原告の請求原因)

一、被告は、昭年三八年一二月五日、原告に対し、昭和三五年度の贈与税額を金四六〇、〇〇〇円とする決定ならびに無申告加算税額を金一一五、〇〇〇円とする賦課決定をなし、同日原告に通知した。

二、そこで、原告は被告に対し、昭和三八年一二月一六日右各決定について異議の申立(後に国税通則法第八〇条により審査請求とみなされた)をしたところ、訴外大阪国税局長(以下単に訴外局長という)は、昭和三九年一〇月二二日付で、右各決定の一部を取消し、贈与税額を金一八二、一三〇円、無申告加算税額を金四五、五〇〇円とする旨の裁決をなした。

三、しかし右決定(但しその各金額は裁決により減額されたものによる)はその原因たる贈与が存在しないから違法である。

(被告の答弁と主張)

一、原告主張の請求原因たる一、二の事実は認める。

二、しかして被告の右各決定はいずれも前記のとおり減額された範囲で適法である。即ち、原告の父訴外酒井平太郎(以下単に平太郎という)は数十年以前から別紙目録記載第二の建物(以下単に第二建物という)をその所有者であつた訴外松本鶴喜知から賃借して居住していたところ、昭和三五年頃、右松本は第二建物をその敷地と共に訴外大和新産業株式会社(以下単に訴外会社という)に売渡したので、賃借人であつた平太郎は第二建物からの立退費用又は対価として昭和三五年七月一七日訴外会社より、同会社が訴外鎌苅克己から取得した価額金一、〇五七、一七〇円相当の別紙目録記載第一の土地建物(以下単に第一物件という)を受領し、更に同日これを原告に贈与し(但し形式上は、第一物件は訴外鎌苅克己から原告に売渡された)、そのころ、中間者たる訴外会社および平太郎の所有権取得登記を各省略して直接訴外鎌苅克己から原告名義に所有権移転登記が経由された。かように、原告は昭和三五年度中において金一、〇五七、一七〇円相当の財産の贈与を受けながら申告をしなかつたものであるから、被告は昭和三八年一二月五日原告に対し、本件贈与税の決定ならびに無申告加算税の賦課決定をなしたものであつて右決定はいずれも適法な処分である。

(被告主張二に対する原告の主張)

第二建物の賃貸人が訴外松本鶴喜知であつたこと、同訴外人がこれを敷地と共に訴外会社に売渡したこと、訴外会社より昭和三五年七月一七日第二建物の賃借人に対しその立退費用又はその対価として訴外会社が訴外鎌苅克己から取得した第一物件時価一、五七、一七〇円相当のものを譲渡したこと、第一物件は中間者を省略して、直接鎌苅克己から原告に所有権移転登記がなされたこと、は認めるが、第二建物の賃借人は平太郎でなく、原告が訴外松本鶴喜知よりこれを賃借していたものである。従つて第一物件は原告が訴外会社から立退費用又はその対価として受領したものであつて、平太郎より贈与を受けたものではない。

第三、証拠

(原告)

甲第一ないし三号証、同第四号証の一、二、同第五号証の一ないし三を提出し、証人松本千代子、同青木源治郎、同竹中光二の各証言および原告本人尋問の結果を援用し、乙第一、二号証の成立は認め、その余の乙号各証の成立は不知と述べた。

(被告)

乙第一ないし五号証を提出し、証人松本千代子、同森田亀喜知の証言を各援用し、甲第四号証の一、二の成立は不知、その余の甲号各証の成立は認めると述べた。

理由

一、原告主張の請求原因たる一、二の事実は当事者間に争いがない。

二、しかして原告は、本件贈与税、無申告加算税の各決定は違法であると主張し、被告は、原告の父平太郎が第二建物の従来からの賃借人であつて、その立退費用又はその対価として訴外会社から昭和三五年七月一七日第一物件(価額一、〇五七、一七〇円相当)の譲渡を受け同日更らにこれを原告に贈与したものであるから、本件贈与税、無申告加算税の各決定は適法であると主張するので以下この点につき判断する。

(一)  第二建物の賃貸人が訴外松本鶴喜知であつたこと、同訴外人はこれを敷地と共に訴外会社に売渡しいこと、訴外会社より第二建物の賃借人に対し昭和三五年七月一七日その立退費用又はその対価として、訴外会社が訴外鎌苅克己から取得した第一物件時価一、〇五七、一七〇円相当のものを譲渡したこと、第一物件は中間者を省略して直接鎌苅克己から原告に所有権移転登記がなされたこと、は当事者間に争のないところである。

(二)、成立に争いない乙第一、二号証、甲第三号証及び甲第五証の一、証人松本千代子の証言により真正に成立したものと認められる乙第三、四号証、証人松本千代子、同森田亀喜知、同青木源治郎、同竹中光二の各証言(但し後記信用しない部分を除く)、原告本人の尋問の結果の一部を綜合すると、第二建物は昭和二年ごろに原告の父平太郎が訴外松本鶴喜知から賃借し、爾来平太郎においてその家族と共に住居として居住していた、ところで戦災にあつた訴外松本鶴喜知は自己使用のため第二建物の明渡方を求めたため訴訟となつたが、それがなかなか埒があかない上生活上の問題もあつて、やむなく安くこれを訴外会社に売却するようになつた。訴外会社は平太郎老令のため実権を握つているという。当時曽根崎新地に店(料理店)を持つていた平太郎の息子たる原告と明渡方について交渉を重ねた末ようやく、訴外会社が立退費用又はその対価として二〇〇万円前後の第一物件(実際は一八五万円で買受けた)を賃借人に提供(譲渡)するということで第二建物の明渡(立退)の話合が出来、訴外会社から昭和三五年七月一七日頃第一物件の譲渡がなされた。その結果平太郎は同年八月六日頃第二建物を立退いて第一物件に転居し早速第一物件への転居の届出を了するに至つたこと。昭和二二年ごろ原告は大阪市北区曽根崎新地二丁目一三番地と妻と共に移転居住し、同所において料理屋を経営していたこと、その間原告は時々第二建物に右平太郎らを訪れ、賃貸人たる訴外松本鶴喜知は賃料値上等につき平太郎老令のため原告と交渉したことのあること、原告は昭和三二年一二月一一日頃その娘美和子の小学校就学のために大阪市東区瓦町五丁目三三番地に形式上転居しその実前記曽根崎新地に居住して料理業を継続していたがその後第二建物立退と同時に平太郎と共に前記第一物件に引越し、昭和三九年三月一七日(昭和三八年一一月八日父平太郎死亡後)になつてようやく第一物件への転居の届出をしたこと、がそれぞれ認められる。

以上の認定事実より考察してみると本件第二建物は昭和二年に平太郎が住居として松本鶴喜知から賃借し昭和三五年八月立退に至るまで約三三年間ひきづきこれに居住して来たのにひきかえ、原告は、平太郎の家族として同居したことがあるとはいえ、昭和二二年頃から殆んど平太郎と別居し前記大阪市北区曽根崎新地などにおいて妻子と共に居住し平太郎老令のためこれに代つて、賃料値上に関して家主と明渡しに関して訴外会社と交渉したのであつて、第二建物の立退に至るまでその賃借人は平太郎であり、従つて第二建物の立退費用又はその対価として、第一物件の譲渡を受け得べき者は平太郎であつたと認めるのが相当である。

しかして証人松本千代子、同森田亀喜知の各証言の一部と原告本人尋問の結果中には、第二建物は昭和二年ごろから平太郎が賃借居住していたものであるが、昭和二四年ごろ賃料を二、〇〇〇円に値上げすることを申入れられた際、借主を原告に変更する旨の合意と原告と訴外松本鶴喜知との間に成立した旨を窺いうるごとき供述が存するが、右各供述は前掲乙第三、四号証、証人森田亀喜知の証言によつて真正に成立したと認められる乙第五号証および証人松本千代子、同森田亀喜知の各証言の他の部分に照し措信しがたい。また証人松本千代子の証言により真正に成立したものと認められる甲第四号証の一および証人青木源治郎の証言により真正に成立したものと認められる甲第四号証の二の中には賃借人は原告であると窺える記載も存するが右乙第三ないし五号証ならび証人松本千代子、同森田亀喜知の各証言と原告本人尋問の結果(但しいずれも前記信用しない郎分を除く)とによると、右甲第四号証の一は、原告の依頼により、本件賃貸の経緯事情等について殆んど知るところのない訴外松本千代子がこれまた殆んど事情に通じない訴外森田亀喜知に相談し、同人が作成名義人たる訴外松本貞子に代つて、何ら確実な証拠又は明確な記憶にもとづくことなく(当時、第二建物の賃貸契約に関る書類はすでに紛失し、存在していなかつた)ただ原告のいうとおりの内容をそのまま記載して作成したものであることが認められるから、甲第四号証の一の記載内容は証拠力極めて乏しく直ちに採用することが出来ない。また甲第四号証の二は証人青木源治郎の証言によると第二建物の明渡の交渉をした際、専ら原告がその相手方となつていたので深く考えず原告を借家人と記載したにすぎないことが窺えるのでこれまた証拠力極めて乏しく直ちに採用することが出来ない。

三、そうすると第二建物明渡当時のその賃借人は平太郎であつて、その立退費用又は対価を受け得べき者も平太郎であつたというべきである。しかして、立退費用又は対価は特段の事情のない限り、賃借人に対し支払われるのが通例であるところ、この特段の事情を認める証拠のない本件においては、平太郎が右立退費用又はその対価として第一物件を受領したと認めるのが相当である。ところで第一物件は昭和三五年七月一七日中間者を省略して元の所有者鎌苅克己から原告に所有権移転登記がなされて原告が第一物件を取得していることは当事者間に争いのないところであるから第一物件は結局右同日平太郎から原告に贈与されたと認めるのが相当である。また右贈与にかかる第一物件の贈与時における価額が金一、〇五七、一七〇円であることは前記のとおり当事者間に争いがない。従つて右贈与に対する税額が金一八二、一三〇円となることは計数上明白である。また無申告加算税については、前記贈与税決定の通知がなされたのは昭和三八年一二月五日であることは当事者間に争いがなく、右期日は本件贈与税の甲告書提出期限たる昭和三六年二月二八日(即ち贈与により財産を取得した昭和三五年七月一七日の翌年の二月末日)から既に三ケ月以上の期間(二年九月余)を経過しているのであるから本件に対して適用される無申告加算税率は百分の二十五であるといわねばならず、従つてその税額が金四五、五〇〇円となることは計数上明白である。

四、そうだとすると被告のなした本件贈与税の決定ならびにに無申告加算税の賦課決定はいずれも適法な処分であるというべきである。

よつて原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 石崎甚八 裁判官 藤原弘道 裁判官 福井厚士)

目録

第一、大阪市阿倍野区阪博南町西一丁目二七番地の一

宅地 八八、三六三六平方メートル(二六坪七合三勺)

右地上所在

家屋番号同町第二番の二

木造瓦葺二階建居宅一棟

建坪 四三、六三六三平方メートル(一三坪二合)

二階坪 二八、九二五五平方メートル(八坪七合五勺)

第二、大阪市阿倍野区松崎町二丁目四番地

宅地 一一九、〇〇八二平方メートル(三六坪)

右地上所在

木造瓦葺二階建

建坪 八四、二九七四平方メートル(二五坪五合)

二階坪 八四、二九七四平方メートル(二五坪五合)

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